むぎをの夜話
http://bak.s56.xrea.com/
世界を憂える庶民、むぎをがぼそりぼそりと語ります。
ja
2005-04-25T23:30:38+09:00
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JRの脱線事故(尼崎)に思う
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000019.html
1.脱線事故 25日、JR福知山線で脱線事故が起きました。映像をみましたが、大変大きな事故のようで、亡くなられた方や怪我をされた方が多数いるようです。 亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、この事故で悲しい思いをされているすべての方に、どうかお気持をしっかりと持って下さいと申し上げたい気持です。 2.夜のニュースを見ていて この事故によって私のなかにはいろいろな気持、感情が起きましたが、そのなかで最も些細なものについて書きます。それは、JR西日本の幹部が記者達から怒声を浴びせかけられるシーンを見ていて感じたものでした。私は思ったのです、 「この人達は何様のつもりなのだろうか?」と。 そのなかのひとつは、幹部が被害者の収容されている病院に到着した際、それを取り囲んだ記者陣のなかから飛び出しました。彼らは幹部に対してコメントを求め、黙って病院の中へ入ろうとする幹部に対して、「ちゃんと答えろ。人が死んでんねんぞ」と怒鳴りました。それに答えて幹部が、「まずは被害者の方達に・・・」と言うと、記者は、「(出てくるのが)いつになるかわからないじゃないか」といった趣旨の言葉を返すのでした。 これを、被害者の方や、そのご家族が言うのならわかりますし、私としても全面的に支持するのですが・・・ 3.気持はわからなくもない そりゃあ、記者にしたって、事故後、混乱した現場で何時間もネタを探し続けていたのでしょうから、少々いら立つのもわかります。JR幹部に責任がないとも言いません(事情がわからないので、「ある」とも言いませんが)。 しかし、JR幹部(故意に事件を起こした犯人というわけではない)に自分のいら立ちをぶつけたところで何も解決はしないだろうと思うのです。 4.しかも私が見る限り 記者たちはJRの幹部の前に立ちはだかることで、幹部たちが「病院内にいる被害者達を見舞う」ことを確実に遅らせていました。記者達にとっては 「被害者を見舞うことよりも、自分達の取材に応じることこそが、JR幹部の果たすべき正義」 ということなのでしょうか? 5.マスコミの横暴 マスコミには、自分が社会正義を担っていると強く認識している人が多いようで、実際、私も周りのマスコミ関係者からそんな話をよく耳にします。けれども彼らがその高尚な理念を実現しようと努力しているか、といえば甚だ疑問です。 事故の現場や災害地などでマスコミが我がもの顔に振る舞い、救助活動など、現場の混乱を鎮めるための行動が邪魔されることはよくあるようですが、そんな場所で偉そうな顔をする前に、もっとやることがあるだろう、と私はしばしば思うのです。...
社会問題
mugio
2005-04-25T23:30:38+09:00
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小泉首相の「謝罪と反省」
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000018.html
1.小泉首相が謝罪と反省 22日、アジア・アフリカ会議(開催地:ジャカルタ)において小泉純一郎首相が「謝罪・反省の表明」を行ないました。ざっくりと要約すると 日本がかつて植民地支配と侵略により多くの国の人々に多大の損害と苦痛を与えたことを反省し、お詫びの気持を表明するとともに、戦後一貫して軍事大国とならなかったこと(平和主義の立場を堅持したこと)を強調。その上で、今後も世界平和に貢献していく決意する、といった内容となっているようです。 この演説を私は以下の点から基本的に支持します。 2.村山談話を踏まえた謝罪 歴史上の事実については評価が分かれる部分もありますが、かつて日本が他国に侵略しようと戦闘行為を起こしたことは事実であると私は認識しています。これを反省することは国家として当然のことですし、それを世界に向けてしっかりとアピールしない限り、日本は孤立するしかないと思います。 対 国内 謝罪したことについて国内には当然、異論もあるでしょう。しかし、今回の「謝罪と反省」が村山談話の域を越えるものでない以上、激しい批判は起こりにくいだろうと思います。 対 国外 また、村山談話を引用していることで、諸外国に対して「これまでも日本が謝罪と反省の意を表明してきた」という事実をアピールすることができます。 アジアの一部の国(中国・韓国など)はかねてより、「日本は謝罪しない」「日本は反省しない」とただ闇雲に連呼するばかりですが、こうした類の批判に対する日本からの反論、あるいは抗議としての機能が今回の演説には含まれていると思います。 3.国際会議の演説として表明したこと このところ中国や韓国では支離滅裂な反日運動が盛り上がっています(反日的言動の全てを批判するつもりはありませんけど)。そんな状況で日本の首相が中国や韓国に向けて謝罪や反省の意を表すれば、世界からは呆れられ、また馬鹿にされるでしょう(もっとも、既に充分馬鹿にされてはいますが)。 しかし今回、小泉首相は特定の国家・国民に対してではなく、あくまで世界の国々に対して謝罪・反省の意を表明しました。 これは手段として適切であっただけでなく、今後、中国や韓国の一部による「日本は決して謝らない」といった事実と異なる批判を封じるという意味においても有効な方策であったと思います。 4.難癖をつけるなら 小泉首相は「戦後、日本が軍事大国とならなかったこと」をアピールしたようですが、ここまで言うことが必要であったのかは少々疑問です。 この先、数年の間に日本では国防のあり方が議論されることになります。当然、自衛隊を「軍隊」と明言べきかどうか、という問題も真剣に話し合われなければなりません (結論がどちらであるにせよ、この問題は国民によってきちんと議論されなければならないと私は考えています)。 その際、今回の首相の演説が足枷になりはしないかと若干心配です。 ―― 中国や韓国がこの点を取り上げ、ジャカルタでの小泉演説は嘘だった、などと言い出しかねませんから。 アジア・アフリカ首脳会議における小泉総理大臣スピーチ 外務省...
外交問題
mugio
2005-04-23T22:24:48+09:00
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ライブドアvsフジテレビを総括
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000017.html
1.和解 今月18日、ライブドア(4753)とフジテレビ(4676)の和解が発表されました。 大まかな内容を挙げると、以下のようになります。 (1)ライブドアグループの保有するニッポン放送(4660)株を、フジテレビが買い取る。 (2)フジテレビがライブドアの第三者割当増資(440億円余り)を引き受ける。 (3)業務提携についての委員会を設置し、前向きに話し合う。 2.和解の意味 ― ライブドアにとって 今回の騒動を実質的にみると、ライブドアは巨額の増資を成功させたことになります。 まず、ニッポン放送株を取得する際、ライブドアはリーマンブラザーズに転換社債を発行しています。これは本来的には借金ですが、リーマンが社債を株式に転換したことでライブドアの返済義務は消滅し、増資したのと同じ効果を得たわけです。報道によるとその調達額は約800億円。 なお、この転換社債には転換価格下方修正条項が付いていました(いわゆる MSCB)。しかも堀江社長が自らの保有する株をリーマンに貸与する条件まで負わされていたそうです(報道による)。「増資」として考えると非常にコストの高いものといえます。ただこれはライブドアには大した痛手ではありません。というのもこのコストを負担するのは株主だからです(つまり株主が、会社を介した間接的負担ではなく、直接に損失を負担する)。 そして(なんと驚いたことに)今回、特に株主側からライブドアへの批判が上がったということはないようです。また株価が極端に崩れることもありませんでした (たしかにライブドアの株価は下げましたが、MSCB絡みの諸条件を嫌気したというより、需給の影響で下げたといった印象です)。 次に、ライブドアは今回の和解でフジテレビに 440億円余りの新株を引受けさせています。しかも発行価格は役会の直前営業日である 4月15日の終値(329円)。これは非常にコストの掛からない、言い換えるならば「効率のよい」増資といえます。こんな増資、なかなかできるものではありません。 以上、2回の増資額を総計すると約1,240億円。今回騒動を起こした真の目的が増資であったとしたら、ライブドアの政策担当者は天才だと思います。 3.和解の意味 ― フジテレビにとって 他方、フジテレビにとっては、ニッポン放送を完全子会社化するという目的を果たすとともに、ライブドアによるフジテレビ本体の買収をとりあえず阻止できました。 4.ライブドアがフジテレビの株を取得しなかったことの意味 メディアはこれまで堀江社長がフジテレビの株に固執し、それをフジテレビ側が拒絶していると報じていました。今回の和解でライブドアは当面フジテレビの株を保有しないことになりましたから、この点から一般的には「ライブドア側も一定の譲歩を強いられた」と評価されることも多いようです。 しかしこの点、私の意見は違います。 ライブドアはしばしば世間から「M&Aによって成長した」と評価されています。けれども実質的にみると「株式分割などの積極的なファイナンス戦略によって成長した」と言う方がむしろ正しく、M&Aは、一時的に増大した時価総額を固定化させる手法として利用されたに過ぎません。つまり彼らは、自社の株価をいたずらに乱高下させた上で、株価が天井付近にあるタイミングを見計らって「既に充分成長しきって、経営も順調な会社」を買ってきただけなのです。 ―― これは少々乱暴な言い方で、ライブドア側からは当然異論があるでしょうが、少なくとも私はそう感じていますし、正直なところその戦略をまったく支持しません。 今回、ライブドアがフジテレビ(既に充分成長しきって、経営も順調な会社)の株式を相当数取得することになっていたら、それはこれまでの路線を踏襲するものでしかありません。私なら「あーあ、ライブドアもとうとう行き詰まったな」と考えたでしょう ―― 現在のライブドアの株価を考えると、かつてのように派手な株式分割を利用した拡大戦略は取れませんから。 ところが実際、ライブドアはフジテレビの株を取得せず、手元に 1,400億円余りのキャッシュを残しました。この状態は、ひとつの企業にとって大きな武器となります。このキャッシュをライブドアが有効な経営、あるいは本当の意味で「効果的なM&A」に利用するとしたら、今後、ライブドアは大きく跳ねると思います。 5.損をしたのは誰か? 今回の騒動で損をしたのは、ライブドアが増資を成功させた陰でその煽りを食らった人です。 まずは ライブドアの株主です。ライブドア第一の増資(リーマンに対する転換社債発行、およびその転換)により、ライブドアの株式は著しく希釈されました。今日までに同株式はある程度値を下げましたが、それでもいまの株価はかなり割高になっていると思われますからその分、株主は損をしています。 ―― また、リーマンはライブドアの株式を売買する過程で相当の鞘を抜いているはずで、この分は同時期に売買をした株主の一部が割を食った形になっています。...
経済問題
mugio
2005-04-20T00:37:47+09:00
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竹島問題 3(そして物申す)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000016.html
1.韓国政府 御中 私は、韓国の国民が竹島(韓国名:獨島)の領有権を主張すること、そしてそこを占拠することを一方的に非難するつもりはありません。国民が領土に関して自国に有利な発言をするのは当り前だし、また、他国と領有権を争っている以上、そこを占拠し、それを既成事実化しようとすることもひとつの戦略としては「あり」だと思うからです。 ただし、竹島問題 1(謂われを考える)、竹島問題 2(現在を考える) でお話したように、私個人としては、竹島が日本の領土であると確信しています。 そして以下の点につき、私は韓国政府に抗議します。 2.ささやかなる抗議 1 ― 強奪 韓国政府は、日本が竹島(韓国名:獨島)を強奪したと主張しています。 しかし、竹島問題 1(謂われを考える) を読んでもらえればわかるように、過去の事実として、日本が「竹島の占拠を目的に」暴力などの強制力を行使したことはありません。 それに引き換え韓国政府は戦後、竹島を軍事力にも似た「力」(つまり日本の船に威嚇射撃などをなしうる実力を持つ警備隊)によって占拠しはじめ、その占拠を今日に至るまで続けています。韓国政府は、かつての日本における「軍国主義」を忌むべきものとして批判しておきながら、自ら「軍国主義的」ともいえる行動を取ってしまっているのです。韓国政府の言動に、私は矛盾を見るような気がしています。 先ほど私は「韓国国民の竹島占拠を一方的には非難しない」と述べました。けれどもそれは、占拠が平穏になされている場合に限ります。韓国が武力に準じた「力」で竹島を一方的に支配することを私は不愉快に感じています。そして思うのです。 いまの韓国政府に、他国を「軍国主義者」と批判する資格はない、と。 3.ささやかなる抗議 2 ― 政治の材料 竹島問題 2(現在を考える)でお話したように、韓国の政治家が、もっぱら自分達の支持率を上昇させるために竹島問題を利用することを、私は非常に卑劣な行為であると感じています。 国民感情をいたずらに煽ることにより、もしかしたら短期的な国民の支持を得ることはできるかもしれません。しかし長期的な観点に立って考えると、こうした手段は非常に危険です。政治家はよりしっかりと理念を持って国家・国民、そして世界の利となる政治を志すべきだと思います。 とは言っても、韓国内の政治問題について私に口を出す資格はありませんし、日本の政治家をみても・・・ まあ、この問題はこの辺にしておきます。 4.ささやかなる抗議 3 ― 国際司法裁判所 現状をみる限り、竹島問題を日韓両国の話し合いにより解決することは難しいように思われます。とすれば、公平な第三者に介在してもらって解決するしかないでしょう。 そこで日本政府は国際司法裁判所による解決を提案しています。しかし韓国政府はこれを拒否しているのです。事ある毎に竹島(韓国名:獨島)問題を持ち出し、過剰に騒ぎ立てておきながら、日本が解決手段を提案すると韓国はにべもなく拒絶するのです。 韓国の言い分はこうです。「竹島(韓国名:獨島)が我々の領土である以上、裁判などに付き合う理由はない」 しかし、それが理由にならないことは明白です。これはつまり、あるひとつの土地を巡って二者が所有権を主張して争っている場合に、一方当事者が「その土地は私の所有地なのだから問題は全て解決済みだ。話し合う必要はない」と言っているのと同じですから。もし本当にそう思って言っているのなら頭が悪すぎて話になりませんし、そうでないなら卑怯です。 竹島(韓国名:獨島)を自国の領土であると、それほど自信満々に仰るのなら、公的な場において堂々と主張なさればよいでしょう。そして一刻も早く法的なお墨付きをもらうことがあなたの利益にもなるはずです。 と、私は韓国政府に申し上げたい。 5.韓国の悪手 島根県議会における竹島の日制定後、韓国政府は国民の前で激しい怒りを露わにしてみせました。一部の韓国メディアもこの問題を激しい論調で取り上げましたし、驚いたことに島根県議会へ刃物を持って侵入し、自傷するぞとそれを振り回した韓国人議員まで出る始末。 しかしこれは悪手でした。 現在、韓国は竹島(韓国名:獨島)を事実上支配しています。この状況が続くことは韓国にとっては有利なはずです。そして反対に、日本にとっては何のメリットもありません。いや、単にメリットがないだけでなく、韓国政府が竹島を材料に韓国国民の反日感情を煽るといった現状は日本にとって厄介事でしかありません。つまり日本にしてみれば、この問題を早急に解決することこそが得策なのです。...
外交問題
mugio
2005-04-15T00:59:25+09:00
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竹島問題 2(現在を考える)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000014.html
1.怒れる韓国 現在、竹島を占拠しているのは韓国です。 この事態、日本としてはたまったものではないのですけれども、おかしなことに、いま怒って熱くなっているのは日本よりも、むしろ韓国の方なのです。直接の契機となったのは、島根県が「竹島の日」を制定したこと、そして一部の日本の教科書が竹島について「韓国が不法占拠している」と記述したことであると言われています。 2.韓国の主張 竹島問題 1(謂われを考える) でお話したように、韓国は、竹島(韓国名:獨島)が 1905年、日本によって強奪されたと主張しています。 このことが韓国のナショナリズムを刺激する形になっているようです。竹島(韓国名:獨島) が、いわば「日本軍国主義」による犠牲の象徴とされているわけですね。 ただ、韓国の「日本軍国主義批判」自体は今に始まったことでもありません。 3.では、なぜ今 熱くなるのか? ここ数年、日韓関係は落ち着いていたのに、どうして急にこんなことになってしまったのか、と戸惑っている日本人も多いようです。 まあ、現実としては、韓国人のなかに眠る反日感情が、日本人が思っていたほどには和らいでいなかったというのもひとつの事実としてあるようですが、そのことに加えて、もうひとつの理由があると言われています。 それは政治です。 韓国ではいま「歴史清算」に関心が集まっています。歴史清算とは(ものすごく大雑把に言うと)戦中、及び戦後復興時の韓国政府、そして韓国要人の行動が適切であったかどうかを解明していこうというもの(具体的には、祖国を裏切って日本のために働いた韓国人の糾弾)なのですが、この問題が近時、韓国内において政局の材料とされているのです。 韓国内で二大政党を形成するウリ党とハンナラ党は近年、相手方関係者にかつて親日行為に関与した人物がいることを挙げ連ね、ダメージを与えようと躍起になっています。そんな状況ですから、どんな政治家も日本を擁護するような言動を取るわけにはいきません。彼等の言動が反日的なものになるのは必然とさえ言えそうです。 かつては竹島問題を取り上げることに消極的だった盧武鉉大統領が、このところ急に攻撃的になってきたのもそのせいだと思われます。彼の属するウリ党は、戦後復興時の大統領、朴正煕が取った復興政策を批判することでその娘、朴槿恵が党首を務めるハンナラ党を攻撃しようとしていたのですが、その調査結果が出るよりも先に、身内のウリ党幹部(の父親)の親日行為が続々と明るみに出てしまい(というより、ハンナラ党によって暴かれた)、当初の思惑とは反対に自らが厳しい立場に追い込まれてしまいました。 いま盧武鉉大統領が日本を叩く背景には、ウリ党や自らに対する国民の支持と信頼を回復しなければならないという背景が少なからず影響していると思われます。 4.韓国 国民の意識 韓国の国民は、恐らくそのほとんどが竹島(韓国名:獨島)を自国の領土と考えているでしょう。しかしそんな韓国国民のなかにも、特に知識層を中心に、竹島問題が国内政党の党利党略に利用されていることに冷めた見方をする人はいるようです。 ―― だからといって、日本の主張を正しいと思っているわけではないでしょうが。 韓国の政治家が竹島(韓国名:獨島)について何らかの発言するとき、日本のメディアは、韓国の民衆が日の丸を焼いたりデモをするような映像も併せて流すことが多いようですが、このような過激な反応が民衆の一部によるものであることは忘れてはいけないと思います。 5.日本の対応 日本では島根県の「竹島の日」制定以来、国民の間でも竹島の存在が少しずつ意識されるようになってきました。それでいながら過剰に感情的な反応がほとんど見られないことに、私は誇りを感じています。 私は基本的に、この問題が国民のナショナリズムを必要以上に刺激し、「日本民族主義 vs. 韓国民族主義」という対立構造を生むことを望んでいません。そうなることが日韓双方にとって少しの利にもならないと思うからです。 ただそんな私も、日本の国民は(あくまで理性的に)この竹島問題を認識しておく必要があるだろうと考えてます。もちろん各人がどんな意見を持っても構いません。たとえ「竹島は韓国の領土として認めてしまえばよい」と考える日本人がいても、私はいいと思います。 しかしいずれにせよ、日韓で問題となっている竹島(韓国名:獨島)の存在について我々が無自覚でいることは、日本国家や日本国民はもちろん、韓国に対しても失礼であるような気がします。 竹島問題 1(謂われを考える) 竹島問題 3(そして物申す) 竹島問題 竹島問題 様 竹島問題 外務省...
外交問題
mugio
2005-04-13T21:47:29+09:00
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竹島問題 1(謂われを考える)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000013.html
1.領土問題って難しい 領土の帰属は地球上のあらゆる場所で、時代を問わずに争われてきました。人類史上多くの戦争が領土の争いを契機に起きていることを考えても、簡単な話し合いで解決するわけがありません。 そこで今回、複雑にこじれている竹島の問題について、日韓の主張をまとめてみます。 2.実行支配 ― 1905年 日本、竹島を島根県に編入 国際法上、土地に関する国家の領有権を判断する際には「実行支配の先後」が重要視されされ、また、この「実行支配」は、行政機関(中央政府、地方自治体)による、法的根拠を持ったものでなければならない、とされているそうです。 かなり厳格な要件ですね。 日本では古くから竹島周辺で漁をしていたようで、1656年には江戸幕府が竹島(当時の名前は松島)への渡航許可を出しています。一応は明確な「国家のアクション」と言ってよさそうですが、これを「実行支配」とまで呼んでいいかどうかはちょっと微妙です。 ただ、1905年1月28日まで下ると、日本は竹島を島根県に編入させる措置を取っています。ですから、少なくともこの時点では「竹島の実行支配」を認めることができそうです。 3.韓国の反論 ― 日韓協約、そして于山島 これに対して韓国側は、この編入の無効を主張しています。 竹島(韓国名:獨島)の島根県編入(1905年)は、韓国の独立性を奪った(つまり文句を言えない状態にした)日韓協約の下で日本が一方的にやったことだというのです。 そして更に韓国側は、竹島(韓国名:獨島)が6世紀頃から韓国の支配下にあったと主張します。古い韓国の地図に残る「于山島」こそが竹島(韓国名:獨島)であり、韓国からの渡航記録も残っているというのです。 以上の2点を、韓国は領有権の根拠として主張しているわけですが、特に日韓協約の絡んだ前者の問題は現在、韓国の反日思想の核となっているようです。韓国の教科書には必ずそうした記載があり、韓国の国民は一様にそれを学んでいます。竹島問題で韓国の人が熱くなるのもそうした事情が大きく影響していそうです。 教科書問題(教科書検定) 4.私の疑問 その1 日韓協約と 1905年の(竹島)島根県編入の有効性 まず、1905年の島根県編入の有効性は、正直言ってわかりません。 竹島編入は 1月28日、日韓協約との関係でいうと、第1次日韓協約(1904年08月22日調印)と第2次日韓協約(1905年11月17日調印)の間になされたということになるようですが、 この時期に韓国の独立性が実際にどの程度保たれていたのか? 相手方国家の独立性が、領土の実行支配を語る上でどの程度影響するのか? がわからない以上、何も言えません (個人的に、日韓議定書から日韓併合に至る日本の外交政策は様々な意味で愚策だったと考えていますが、この際、その是非は置いておきます)。 5.私の疑問 その2 于山島 ただ、6世紀の地図に残る于山島こそが竹島(韓国名・獨島)である、という韓国の主張については「いくらなんでも無理があるでしょ」と思います。 というのも、現在の竹島(韓国名:獨島)が、鬱陵島(現在も韓国の領土であり、6世紀当時の地図にも記載されている島)の南東に位置する小島(鬱陵島の3/1000)であるのに対し、昔の韓国の地図に記された「于山島」は、鬱陵島の西に位置する大きい島(鬱陵島の4/5程度)なのです。 ―― なお、6世紀の地図上で「于山島」が記されていた箇所は現在、海になっているのですが、地形をよくみると浅瀬のようになっているようです(かつての「于山島」が沈んだものなのではないか、と見る人もいるようです)。 この点に関して、いろいろな意見があって当然ですが、同意・不同意は別としても、私の言っていること(内容)は実際に地図を見てもらえれば理解してもらえると思います。 6.戦後〜現在 1905年 島根県に編入されたはずの竹島。それがなぜ現在のような状況下に置かれるようになったのかというと、これには第二次世界大戦が絡んできます。 ご存知の通り、日本は第二次世界大戦に敗れました。そして 1946年、GHQは覚書において日本の竹島における行政権を暫定的に停止します。 ―― いうまでもなく、この処分は日本に領有権を放棄させる法的根拠を持つものではありません。...
外交問題
mugio
2005-04-09T19:09:13+09:00
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教科書問題(教科書検定)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000011.html
この時期になると決まって取り上げられる問題ですが、多くの人にとっては 「中国や韓国がやたらと怒ってるなぁ〜」という印象くらいしかないかもしれません。 ただ、これって実はとんでもないことなんです。 何が? というと、 中国や韓国の主張が。ということになります。 ・・・当り前ですが。 教育、特に初等教育(小学校〜高校における教育)の内容をどのように決めるかという問題は、それぞれの国家、そして国民の専権事項であり、他国の政府が口を挟むような性質の問題ではありません。おもいっきり 内政干渉 ですから。 これは世界的な常識で、いまの日本の教科書問題を他国(もちろん中国や韓国以外の国々)の人が聞いたら、驚きや呆れを通り越して「ひく」だろうと思います。 もしかしたら、中国や韓国の側には「教科書の内容は政府がしっかりと統制すべき」という感覚があるのかもしれません。 しかし、日本には言論の自由があります。 日本の教科書は民間の出版社がそれぞれの考えで編んでいるわけで、それがどんな内容であっても政府から出版が妨げられることはありません。ただ、それを教科書として使う場合に限って、教科書検定という名のチェックがなされるだけなのです。 ですから万が一、教科書検定の現場において文部科学省が、「この内容では近隣諸国の反発を招きかねない」というだけの理由で教科書としての不採択を判断するようなことになれば、言論の自由(表現の自由)、教育の自由、の観点から問題となるわけです。 私自身、たとえば扶桑社の教科書の依る立場を全面的に支持しているわけではありませんが、それを他国から文句を言われることについては黙っていられません。 「それを言うなら、あなたたちが作る教科書の反日アジテーションを削除してくれ」 と言いたいところですが、それを言ったら彼らはきっとこう言い返してくるでしょう。 「それは 内政干渉 だ」 と。 ※ 付記 (2005.4.8) 韓国の教科書を取り上げられているサイトを見つけたので紹介しておきます。 図書館から韓国の歴史教科書を借りてきた Tomorrow's Way 様...
外交問題
mugio
2005-04-07T21:39:14+09:00
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戦争論02. 他力本願は通用するのか?
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000007.html
1.漠然とした平和意識 日本に軍隊(自衛隊)など要らない。そう主張する人の、おそらくは半数以上が「軍事力を持たずとも日本の平和が脅かされることはない」と考えていると思います。 しかし、その根拠はどこにあるのでしょうか? 2.日本の平和を支えるもの いまの日本が外交的にいかなる緊張とも無関係である、と考えている人はいないでしょう。差し迫った危機とまでは言わないにしても、現状において他国家やテロリスト集団による攻撃を意識しないわけにはいきません。 ある人は言うでしょう。 ―― そんなことが起こるはずはない。なにせ国際秩序の下において日本を突然攻撃するようなことが許されるはずはないから。 しかし 「秩序」 ほど当てにならないものはありません。「秩序」なんてものは所詮、現在する平穏を説明するために引っ張り出された後付けの理屈に過ぎず、その平穏がいったん崩れでもすれば、「秩序」にそれを回復する力はありません。 秩序の外で生まれ、秩序をとことん駆逐するのが戦争というやつなのです。 3.アメリカ軍の存在 また、ある人はこう言うかもしれません。 ―― 日本にはアメリカ軍がついているから大丈夫。 実際、世界中の人間は「日本を不用意に攻撃すればアメリカ軍をも敵に回すこととなる」と考えているでしょうから、アメリカ軍の影をちらつかせることによって日本が他者からの攻撃を防いでいるという側面は、なるほど否定できません。 しかしそのアメリカ軍とは、どこまで信頼できる存在なのでしょうか? たしかに、いま日本が攻撃を受けたらアメリカ軍は日本を守る行動に出るでしょう。しかしその理由はあくまで 「日本がボロボロになるとアメリカにとって不利益であるから」 という点にしかありません。日本のために参戦したとしても戦局が長引きアメリカ軍に死者が相次ぐような事態に陥ればアメリカ世論は日本から軍隊を撤退させるに違いありませんし、また、日本を攻撃する勢力がアメリカにより多くの利益を約束すればアメリカはあっさりと日本を裏切るでしょう。 それになにより、日本がアメリカと争うことになった場合はどうしたらよいのでしょうか? 4.国家の独立 国家は、国民の利益を最大限実現させるため、その独立主権を維持しなければなりません。そしてその主権は、国家が自己防衛の手段を備えたときにはじめて手に入ります。 国家の平和が他国の軍隊によって担保されているとしたら、その国家は軍事力を提供してくれる他国に対し、自由にものを言えないでしょう。それどころか、自国民の利益を制限してでも相手国の利益のために動かなければならない事態にも陥りかねないわけでが、それはもはや国家とはいえません。 私個人の理念として、今回のイラク戦争に自衛隊を派遣することには反対でした。しかし日米関係を現実的に考慮した場合、あそこで自衛隊の派遣を拒否することはほぼ不可能だったと考えています。そして反対に、日米関係が現在のようなものでなければ、フランスやドイツのように自分の意見を主張することができたかもしれないと考えます(あくまで可能性の話でしかありませんが)。 自国の軍事力を充実させることで、却って戦争から距離を置くことができる という場面もあることを、我々は忘れてはなりません。 戦争論 01. 国家と軍隊(自衛隊) 戦争論 03. 憲法改正を考える 戦争論 04. 平和な世界を願って...
戦 争 論
mugio
2004-08-20T23:22:33+09:00
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戦争論01. 国家と軍隊(自衛隊)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000006.html
1.はじめに 私は争いを好みません。 戦時中の話を聞いては落ち込み、映画「火垂るの墓」を見ては何度も号泣し、また日常では口喧嘩さえ避けて通りたいと考える、どちらかといえば気の小さい人間です。この世に狂気と無縁の戦争が存在しえないことを理解しているつもりですし、「正義のための戦争」なんて言葉を聞くと反吐が出そうにもなります。 しかし一方で、軍隊を持たない国家はもはや国家ではない、という考えも持っています。 2.軍隊を不要とする意見にひとこと 日本では、憲法9条との関係で、自衛隊の是非論がしばしば俎上に載せられます。マスメディアの実施するアンケートによれば、多くの国民が自衛隊、そして軍隊に対して強い抵抗感を持っているそうです。 世の中に様々な意見を持つ人がいるのは当り前で、私としてもそれを乱暴に否定するつもりはありませんし、むしろ敬意さえ感じます(軍事力を否定する意見が聞かれない社会なんて健全であるはずがありません)。しかし生意気なようですが、軍事力の具備に否定的な人々のなかには次のような誤解をしている人が少なからず存在する、という点を指摘させていただきます。それは、 軍事力を放棄すれば日本が戦争に巻き込まれることはない。 という誤解 です。こうした考えを持つ人は今でも本気で「イラク戦争はイラクが保有する大量破壊兵器が原因で起きた」と考えているのかもしれませんが、私としては賛成できません。 更に言わせてもらうなら、「完全無欠の性善説の下でしか成立しえない極めて能天気な理屈」を掲げて国家の基本姿勢を論ずることに対し、無責任であるとの印象さえ覚えます。 3.個人見解と国家意思の違い もちろん、軍事力の放棄を主張する人すべてが上記のように考えているわけではないでしょう。戦うことが心底嫌いで、「たとえ他者から攻撃を受けても自分は決して戦わず、無条件で降伏する」 と考える人がいるとすれば、その考えはある意味で一本筋の通った立派な哲学だと思います。 ― それは例えるなら、妻が犯され、子が殴り殺されようとしていても自らは決して手を出さず、静かに傍観する、という考え方です。私には到底理解できませんが、悟りの境地に至った人であればそのように考えることがあるのかもしれません。 しかし、いかに高尚な哲学であっても、それを国家に主張されては困ります。 別テキスト(国家の責任、国民の責任)でも書かせてもらいましたが、国家とはそもそも国民を守るために作られたシステムです。いかなる理由があろうとも、国家が国民保護の義務を放棄することは許されません。 国家の軍事力保持を否定するのであれば、それに代わる「国民保護の手段」を提示する必要があるはずですが、残念ながら、軍事力放棄を主張する人の口からそのことについて説得力のある説明を聞いたことはありません。 軍事力を持つべきか、持たざるべきか、という問題は国民全員の安全に関わる非常に重要な問題ですから、それを個人の哲学や宗教観のみに基づいて語ることは許されません。この問題を論議する人は常に「国民全員の安全」を念頭に置かなければならない、と私は考えています。 国家の軍事力を否定的する人は、もう一度考えてみてください。 あなたは自分の家族が傷つけられるのをただ黙って見過ごせますか? そして、隣人にも同じ振舞いを強要するのが最善の策だと考えますか? 戦争論 02. 他力本願論の無責任 戦争論 03. 憲法改正を考える 戦争論 04. 平和な世界を願って...
戦 争 論
mugio
2004-05-13T00:59:06+09:00
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閣僚の国民年金未加入、保険料未納付問題
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000005.html
年金制度については言いたいことが山ほどありますが、ありすぎて簡単にはまとめられそうにありません。そこで今回は、閣僚らの国民年金未加入、保険料未納付に絞って語ります。 1.保険料の未払い 未払い自体を責めるつもりはありません。国民年金の保険料なんて多くの政治家にとっては取るに足らないものでしょう。自己の利益を図るため故意に払わなかった、ということではないと思います。 ただこの問題は我々に多くの「つっこみ所」 を提供してくれました。 2.個人情報だから公表しない もっとも大きな失態をやらかしたのは官房長官です。保険料の支払状況を問われ「個人情報だから公開する必要はない」と仰いました。しかしそれに納得した国民はいません。 年金問題は現在、国会のみならず広く社会から最大級の関心を集めています。その年金に対して政治家たちが過去どのような態度を取ってきたか、という問題は極めて高い公益性を持つといえます。 もし、これを個人情報として非公開にすることが許されるなら、政治家の活動内容や政治的見解すべてが「個人情報」として秘匿されることになりかねません。 「消費税問題について、私の意見は個人情報だから言えない」 「イラク問題に関しても、個人情報保護の観点から自説を述べるつもりはない」 政治家のそんな間抜け発言がまかり通ることになれば民主主義は終わりです。 消費税やイラク問題は別だろう、という反論があるかもしれませんが、こういった政治的意見は、個人の人格や世界観に直結するという性質から、一般的にはある程度の秘匿性を持つといえます。むしろ、単純な事実に過ぎない「保険料の支払状況」の方がその秘匿性は低いといえるでしょう (国民年金の場合、大金持ちであっても貧乏人であっても保険料は一律ですから、その情報から加入者の経済状況が推測されることはありません。よって、開示されるべき支払状況が「払っていたか、いなかったか」という事実以上の意味を持つことはほぼないといえます)。 おそらく官房長官自身も本心から「保険料納付の事実は秘匿されるべき個人情報だ」と考えていたわけではないでしょう。しかし「個人情報だから公表しない」と発言することで国民を煙に巻けると考えたのだとしたら、その感覚はお粗末としかいえません。 3.保険料を払わないことは犯罪なんですか? これも官房長官の言葉です。年金を払わなかったといっても、別に犯罪ではないだろう。そんなに目くじらを立てて責め立てるのはおかしいのではないか、といった趣旨だったように思います。 しかし、これから保険料の徴収を強化しようと考えている人が 「払わないこと」 にそんなお墨付きを与えてどうするのでしょう? しかもこの発言は先に述べた「保険料納付状況の秘匿性」を否定する方向に作用します (未納付が犯罪でないのならそれを隠す必要もないため)。その点から考えても官房長官の発言は、やはり不用意なものでした。 4.未加入の事実は知っていた しかし法案を通すために公表時期を延ばした 自分にも未加入時期があったことを公表する場での官房長官の発言。自分たちの不手際が原因で法案を潰してしまっては、その作成に多大な努力を注いでくれた方々に申し訳ない、といった趣旨で発言されたように記憶しています。 この点については同情を覚える部分がないでもありません。屁理屈をこねて公表を先延ばしすればするほど自分自身が傷つくことを官房長官もわかっていたでしょうから。 ただこの発言、結局のところ 「我々は国民のためではなく、霞ヶ関の努力に酬いるために法案を通した」 ってことなんです。これを力強く言い切っちゃう度胸は大したもんだと思います。 5.野党の対応 これも酷かったです。自らの無能を露呈しただけで終わってしまいました。 今回は、まず3閣僚の未払いがマスコミに出たわけですが、これが与党の意図した通りのものであったなら、その筋書きを用意した人はかなり頭がいいと思います。 今回の騒動で結果的に与党は、国民の関心を年金の本質的問題から逸らすことに成功しました。用意されたスキャンダルは誰にとっても分りやすく、その関心を吸い寄せる絶大な威力を持ちながら、他方で (同様に保険料未払い議員を抱える)野党からの責任追及は寄せ付け難く、また選挙において自分たちだけが決定的なダメージを受ける危険性も低い、という極めて効果的な 撒き餌 だったわけです。 実際、与党の法案はすんなりと委員会で可決され、その横で野党は微塵の存在感さえ示すことができませんでした。 6.まとめ 今回の騒動で私が感じたのは以下の2点。 義務を果たさなかった人間に 「そもそも制度が悪いからだ」...
国内政治
mugio
2004-04-29T16:54:31+09:00
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アメリカ産牛肉の輸入と狂牛病(BSE)
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000004.html
1.アメリカのBSE事情 2003年 12月、アメリカでBSE(牛海綿状脳症 = 狂牛病)感染牛が見つかりました。これを受け、アメリカ政府は新たに対策を立てます。 へたり牛の食用禁止 生後 30ヶ月以上の牛について脳やせき髄などの特定危険部位の食品化禁止 検査結果が出るまで食肉を流通過程に乗せない これに、屠殺時の技術的問題、そして監視体制についての細目が加わるわけですが、正直なところ「えっ それだけ?」という印象です。 現在アメリカで実施されている検査とは 「ヘタリ牛と生後 30ヶ月以上の一部を検査する」 というものなのですが、この曖昧な基準はなんなんでしょうか? 自力歩行できないヘタリ牛をラインから外し、生後 30ヶ月以上の牛を 1頭でも検査しておけば、とりあえず満たされてしまう基準。 ・・・ゆるいです。ゆるすぎます。 またアメリカでは、感染予防の観点から肉骨粉の使用を禁止していますが(というより、この措置は日本より古くからなされています)、この規制についてもこれまで徹底されてきたとは言い難く、実際に規制後の「肉骨粉使用事例」がいくつも確認されています。ひとつ具体例を挙げると、米国最大の肉牛生産地のひとつであるコロラド州では、肉骨粉が規制されて 4年経っても、飼料製造業者の 1/4 以上がそれを知らなかったそうです。 科学の素養がない私が「どのような検査がなされれば牛肉の安全が保証されるのか」という問題を語ることはできませんが、少なくとも 「人間の健康」 という重大な問題に対する国家の態度として考えた場合、アメリカ政府に真摯なものをみとめることはできません。 2.日本に対するアメリカの態度 日本が求める 「全頭検査」 をアメリカ政府はにべもなく拒絶しています。日本は殊勝にも、技術提供や費用の一部負担まで提案しているようですが、効果がありません。 しかも驚くことにアメリカ政府は 「生後 30ヶ月未満の牛の危険部位除去」 まで拒んでいます。生後 30ヶ月未満の牛にBSE発症実例があるにもかかわらず、アメリカはその危険部位を食品として売り続ける、と言うのです。 もちろん、それをアメリカ国内で販売するだけなら文句をつける筋合いでもないのですが、アメリカは「その危険な牛肉を買え」と日本に猛烈な圧力をかけてくるのですから困ってしまいます。 「メキシコは日本よりずっと柔軟だ」なんて婉曲的に圧力をかけるなんてまだかわいらしい方で、今年の 3月には、WTO(世界貿易機関)への提訴までちらつかせはじました。 ちなみに、日本でBSEが確認された際、アメリカは即座に日本からの牛肉輸入を禁止しました。そしてその措置は、日本が全頭検査を実施して後も見直されず、現在に至るまで一切の輸入が禁じられたままです。 3.日本の世論 大雑把に業界の反応をみてみると、小売業界では「アメリカに全頭検査を要求すべき」という意見が、外食業界では「アメリカの提案に則した形で早期に解決すべき」という意見が強いようです。畜産業界が輸入反対であることは言うまでもありません。 国民の意見も多種多様なのでしょうが、私が不思議に思うのは、この問題をあまり重要視していないと思われる人が存外に多いことです。...
外交問題
mugio
2004-04-26T00:37:22+09:00
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国家の責任、国民の責任
http://bak.s56.xrea.com/mt/archives/000003.html
イラクでの人質事件を契機に、対国家的な視点で国民の自己責任を議論する風潮が生まれました。この点についてひとこと。 1.国家の役割 まず国家に、国民の生命・財産・自由を守る絶対的な義務があることを忘れてはいけません。中世以前の夜警団、また更に古いところでは先史的な集落などにもその起源をみることのできる「国家」という存在は、そもそも、そこに帰属する人間(国民)を守ることを最大の目的としています。国家が国民を守る義務を放棄することは、その存在根拠を否定することに他なりません。 「自分の判断で危険な地域に赴く国民がどうなろうと国家は無関係だ」 そんな発言をすること自体、国家には許されていないのです。 2.国民全体の利益 先刻「自己責任」という言葉を連発していた政治家たちも、恐らく上記のような意味で発言しているわけではないでしょう。彼らが言いたいのは恐らくこういうことです。 「国家の助言を聞かずに危険な地域に赴いた場合、あなたの安全を保証できません」 どんなに無鉄砲な国民に対しても、国家はその生命を守るためできる限りの努力はしなければなりません。しかし国家は他方で、その無鉄砲な国民のみならず、他の国民を守る義務も負っていますから、1人を救うために他の大勢の国民に過大な不利益を強いるわけにもいかないのです。こうした意識は、危険に直面している国民(救助対象者)に重大な過失がある場合には特に強く働きます。 たとえば、渡航自粛が呼びかけられている戦闘地域に無理やり立ち入った人間1人を救うために、救助隊員の命を犠牲にすることは許されません。また、今回のイラクの例で考えると、もし犯行グループの要求通りに自衛隊を撤退させていたとしたら、多くの国民は「更なる誘拐の頻発」という事態に怯えなければならなかったでしょうし、特に海外で生活している人などは精神的に非常に窮屈な思いを強いられたでしょう。また北朝鮮問題をはじめとする多くの外交課題は頓挫し、日本経済も打撃を受けたはずです。これは避けなければなりませんでした。 自らの意思で危険地域に立ち入った人間がいざ危機に瀕した場合、国家への要求は極めて限定的な範囲でしか認められない。その意味で「自己責任」という言葉が使われる限り、私も賛成です。 3.人質被害者への非難 しかし、今回のように人質被害者へのバッシングが続く事態には否定的な感覚を覚えます。彼らに、そのような非難を受けるまでの「責任」があるとは思えないからです。 この世界にはいろいろな人がいます。政府が行くなと言っても、そこへ行きたいと考える人はいるでしょう。その考え自体を、他人が非難すべきではありません。 もちろん、彼らの行動により国家や他の国民に多大な不利益が及ぶ危険もあるわけですが、それを最低限に押さえるのは国家の役割です。人質となった国民の過失度合い、救出にかかる人的、物的、政治的コスト、そしてなにより他の国民の安全、を較量した上でそれが最善の策であると判断したならば、人質の見殺しを選択することもときに国家の責務となります。 その選択を受け入れなければならない、という意味で一人一人の国民は「自己責任」を負うわけですが、反対に、それ以上の責任を負わされるべきではありません (もちろん国家や国民への加害を目的に行動が取られた場合は別ですが)。 私は 「少数者の考えを容れられるかどうか」 が社会の成熟度を判断するひとつの目安であると考えています。人は自らの世界観と両立しえない考え方に接した場合、ときにそれを排斥しようとヒステリックな反応を示してしまうものですが、世の中のすべてを一個人の視点でのみ捉えることが、そもそも不可能であることをまずはしっかりと自覚すべきです。 以上、自戒を込めて。 人助けが人に助けられて言ったこと chronosphere [Time's Blog] 様 自己責任論の無茶苦茶さ 徒然ぺんぺん草 様 自己責任とイノベーション-NGOやジャーナリストは無限責任なのか?- Blog for Japan 様 イラク人質−自己責任論に対するパウエルの言葉 ONO 様 イラク人質事件・短絡的な「自己責任」論 私的スクラップ帳 様...
政治一般
mugio
2004-04-21T18:11:51+09:00