戦争論01. 国家と軍隊(自衛隊)

May 13, 2004  [ 戦 争 論 ]

1.はじめに

私は争いを好みません。

戦時中の話を聞いては落ち込み、映画「火垂るの墓」を見ては何度も号泣し、また日常では口喧嘩さえ避けて通りたいと考える、どちらかといえば気の小さい人間です。この世に狂気と無縁の戦争が存在しえないことを理解しているつもりですし、「正義のための戦争」なんて言葉を聞くと反吐が出そうにもなります。

しかし一方で、軍隊を持たない国家はもはや国家ではない、という考えも持っています。


2.軍隊を不要とする意見にひとこと

日本では、憲法9条との関係で、自衛隊の是非論がしばしば俎上に載せられます。マスメディアの実施するアンケートによれば、多くの国民が自衛隊、そして軍隊に対して強い抵抗感を持っているそうです。

世の中に様々な意見を持つ人がいるのは当り前で、私としてもそれを乱暴に否定するつもりはありませんし、むしろ敬意さえ感じます(軍事力を否定する意見が聞かれない社会なんて健全であるはずがありません)。しかし生意気なようですが、軍事力の具備に否定的な人々のなかには次のような誤解をしている人が少なからず存在する、という点を指摘させていただきます。それは、

 軍事力を放棄すれば日本が戦争に巻き込まれることはない。

という誤解 です。こうした考えを持つ人は今でも本気で「イラク戦争はイラクが保有する大量破壊兵器が原因で起きた」と考えているのかもしれませんが、私としては賛成できません。

更に言わせてもらうなら、「完全無欠の性善説の下でしか成立しえない極めて能天気な理屈」を掲げて国家の基本姿勢を論ずることに対し、無責任であるとの印象さえ覚えます。


3.個人見解と国家意思の違い

もちろん、軍事力の放棄を主張する人すべてが上記のように考えているわけではないでしょう。戦うことが心底嫌いで、「たとえ他者から攻撃を受けても自分は決して戦わず、無条件で降伏する」 と考える人がいるとすれば、その考えはある意味で一本筋の通った立派な哲学だと思います。  ― それは例えるなら、妻が犯され、子が殴り殺されようとしていても自らは決して手を出さず、静かに傍観する、という考え方です。私には到底理解できませんが、悟りの境地に至った人であればそのように考えることがあるのかもしれません。

しかし、いかに高尚な哲学であっても、それを国家に主張されては困ります。

別テキスト(国家の責任、国民の責任)でも書かせてもらいましたが、国家とはそもそも国民を守るために作られたシステムです。いかなる理由があろうとも、国家が国民保護の義務を放棄することは許されません。

国家の軍事力保持を否定するのであれば、それに代わる「国民保護の手段」を提示する必要があるはずですが、残念ながら、軍事力放棄を主張する人の口からそのことについて説得力のある説明を聞いたことはありません。

軍事力を持つべきか、持たざるべきか、という問題は国民全員の安全に関わる非常に重要な問題ですから、それを個人の哲学や宗教観のみに基づいて語ることは許されません。この問題を論議する人は常に「国民全員の安全」を念頭に置かなければならない、と私は考えています。

国家の軍事力を否定的する人は、もう一度考えてみてください。


あなたは自分の家族が傷つけられるのをただ黙って見過ごせますか?
そして、隣人にも同じ振舞いを強要するのが最善の策だと考えますか?

<予告>
戦争論 02. 他力本願論の無責任
戦争論 03. 憲法改正を考える
戦争論 04. 平和な世界を願って


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